ビスカルド篤子
6月〇日 赤ちゃんを野宿させるな
知らない人から私のスマートフォンに、「助けて」とメッセージが届きました。 スパムや詐欺メールかと目を凝らしていると、続けて赤ちゃんの泣き声のボイスメッセージが届きました。
ただ事ではないと悟り、 私の方から電話をかけましたが、 声の主はアラビア語しか通じません。私は母子の居場所を検索して、 車を走らせました。
待っていたのは若い母親に1歳4か月と生後4か月の赤ちゃんでした。 とり急ぎアラビア語通訳が可能な大阪市国際交流協会へ行くことにし、 母子を車に乗せました。
赤ちゃんを抱きあげると、おむつに悪臭が漂っていました。
母親は見るからに不衛生な一個の哺乳瓶をこどもたちに交互に吸わせていました。 もうおむつもミルクもなかったのです。
国際交流協会に到着した母子を相談員の方がたは温かく迎え入れて下さいました。 私は直ちに薬局へ走り、 おむつや粉ミルク、 母親へのパンや水などを買い、 相談室に運び込みました。
協会の皆さんは手際よく寝袋を広げておむつの交換をしてくださいました。
通訳を介してわかったことは、 この家族は難民申請者だがお金も住む場所もなく、 支援を求めて朝から晩まで歩き回っているということでした。
事情を知った国際交流協会の人たちもシナピスの皆も、 赤ちゃんたちを野宿させてはいけない一心で、 保護できる場所を一生懸命に探しました。
このニュースが届く頃には赤ちゃんとパパとママが食卓を囲める環境にいますように。
6月△日 外出先でのお昼寝タイム
朝7時の新幹線に乗って岐阜拘置所に向かいました。 その日は岐阜地裁で裁判もありましたが、拘置所での接見を終えたあと公判まで数時間が空いてしまいました。 朝が早かった私は軽く食べて読書をするうちに眠くなってきました。 外出先での昼寝場所といえば、献血ルームです。 私はいそいそと献血ルームに入り、時間のかかる成分献血を申し込みました。
職員の皆さんはどなたも笑顔で優しいのです。 タオルケットをかけてもらい、 リクライニングベッドを心地よい位置まで倒してもらうと、 私はガクッと寝落ちしました。
私のあまりの熟睡ぶりに、看護師さんたちは貧血を心配し、「献血は終わりましたが、そのままお休みください」などと労わられ、 お言葉に甘えて再びウトウト。 目が覚めるとうやうやしくアイスキャンディーが運ばれました。 食べ終わってベッドから降りると、 お菓子と洗剤をプレゼントされました。 そこまでされると、何だか「昼寝ドロボー」しにきたような後ろめたい気持ちになってしまって、ペコペコしながら私は献血ルームを後にしたのでした。
篤子の「アツ」は、厚かましいの「アツ」と書きますか? とよく聞かれます。 全くね。