• カトリック大阪高松大司教区 社会活動センター・シナピス

ガザの子どもたちの苦しみと共に祈る

シナピス運営委員 西口 信幸

彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとく ぬぐわれるからである。
( ヨハネの黙示録17-16:7  復活節第4主日第2朗読より)

トランプ大統領就任祝いの「停戦?」と同じように、イスラエルは、中東ディールの間は目につかないように殺戮しつつ、サウジアラビアにガザ問題を棚上げさせることに成功しました。
5月15日のナクバ(大惨事)の日、民族追放のため最後の「ギデオンの戦車」作戦を始めました。


トランプが中東のリビエラ作りに入るため、アメリカ官民総がかりのG H F(ガザ人道財団)と協調して、人道支援と称する強制収容所、また他国への移送計画(民族浄化)が準備されています。国連や心あると思われている世界の指導者も形だけの拒否発言はあるものの、制止に向ける動きは一切なく、逆にそれを容認するような動きさえあります。真実が報道されないまま、西岸地区を含めたパレスチナ民族の滅亡に向けて最後の動きに向かおうとしています。一年以上に亘り報道されない真実を限られた紙面で伝えるように苦労してきましたが、あまりに多くのことが世界の暗黙の了解の中で行われている今は、私には全てを伝える術がありません。


今月は、国家権力の動きではなく、前からお伝えしたかった、77年の間、世代を越えて、命をかけて民族の魂を持ち続けようと生きている人の生の声をいくつかお伝えしたいと思います。


テレビ報道の数で語られる殉教者や飢餓の映像に慣れた私たちですが、何気ない生活の中の言葉で語られる一人ひとりの「物語」を通して、数ではない人のいのちという神聖な事実を見過ごしていることに、改めて気付かされます。テレビの中の一人ひとりとの出会いがありますように!

「飢餓はすべてを壊す」:絶望的なガザの人々は食料を求めて奔走する
 「お肉は天国でしか食べられないの?」と聞く甥にうまく答えられない
 ハラ・アル=ハティブ(ガザの作家、英文学専攻)2025年5月10日 アルジャジーラ英語版


3月2日、ガザへの全ての検問所が封鎖されたとき、2週間以上続くことはないだろうと思っていました。生き残った親戚をイフタール(断食明けの食事)に招き、普通のラマダンを過ごしたいと願っていました。しかし、神聖なこの月を、缶詰で断食を終えることになったのです。封鎖後の数日で、市場から食料が姿を消し、食事の回数を減らすようになりました。恥ずかしさと悲しみを抱えながら、パン屋や慈善厨房の前で何時間も列を作って並びます。3月31日、すべてのパン屋、慈善厨房も次々と閉鎖、飢饉の兆候は至るところに見えるようになりました。最もつらいのは、小さな子どもたちに飢饉を説明しなければならないことかもしれません。5歳のハーレドは、母親のスマホの写真を見つめて、天国にいる殉教した父と「一緒に食べられる番はいつ来るの?」と聞いてきます。彼に「我慢してね。我慢した分だけ報われるよ」としか言えないのです。毎日、飢餓と絶望の光景を目の当たりにして、無力さに打ちひしがれます。そして問いかけます——子どもたちの体がどんどん痩せ細り、ゆっくりと死んでいく姿を目の当たりにしながら、どうして世界は沈黙を保てるのか?

アイーダ・アブ・ラヤラ(42歳)の苦しみ


「小麦粉もパンもなく、子どもたちに食べさせる方法もない。炎天下で、時には凍えるような寒さの中で何時間も立っている」と、ガザ中央部のヌセイラット地区に住むラヤラは言った。
ラヤラの家は空爆で破壊され、一家は現在、薄いナイロンシートのテントで暮らしている。
ある日、彼女は立ちっぱなしで足がふやけて、3時間待った。ようやくカウンターにたどり着いたときには、食料は残っていなかった。「手ぶらで家に帰った。子どもたちは泣いていた……
その瞬間、子どもたちの空腹をもう一度見るくらいなら、いっそ死んでしまいたいと思った」

ユセフ・アル=ナジャール(8歳)の一日


ユセフは夜明けとともに、裸足でボロボロの鍋を握りしめてガザ市のコミュニティ・キッチンまで走っていく。「自分の番が回って来ないのでは、と恐れて、人々は押し合いへし合いしている。
小さな子どもたちが倒れているんだ」とユセフが言った。
「時々、混乱の中で鍋が手から滑り落ち、食べ物が地面にこぼれる。」
「手ぶらで家に帰る……その苦痛は飢えよりもひどい」と彼は語った。
父親が爆撃で殺された後、ユセフの肩には責任の重さがのしかかった。
ユセフの夢はおもちゃやゲームではなく、母と妹と一緒に食卓を囲み、平和に食事をすることだ。
そのために毎朝、彼はコミュニティ・キッチンに駆けつける。

焼かれ、切断されるーイスラエルの残忍な戦争の矢面に立たされるガザの子どもたち


保健省によれば、イスラエル軍によって16,000人以上の子どもたちが無惨に殺害され、1,000人を
こえる子どもたちが手足を切断されています。

3月、ガザ北部のベイト・ラヒアにあるアル・シャイマ地区は、イスラエルによる複数の攻撃を受け、アル・ガルバン一家は襲われました。 アハメッドと弟のモハメッドは、イスラエル軍によって「レッドゾーン」とされた自宅から避難し、安全な場所に向かっていた。荷物を持って馬車で移動中に彼らは攻撃の犠牲になった。アハメッドはこう振り返る。「私のそばを離れなかった弟の手を握っていました。近所が爆撃された後、私たちは馬車に乗って家財道具を運んで安全な地域に向かっていました。」
病院で目を覚ますと、両足が切断されており、弟のモハメッドと叔父をイスラエルの攻撃で失っていた。

毎日100人の火傷患者、70%は子どもである 国境なき医師団(MSF)
イスラエルによる攻撃が再開された3月18日以降、特に子どもの火傷が急増している。爆弾の爆発、放火などで、多くの子どもたちが重度の火傷を負っており、複数回の手術、創傷ケアなど、緻密で長期的な治療が必要であるが、医療制度の崩壊と、必要不可欠な援助を遮断するガザ包囲網により、患者はほとんど救済されることなく激痛に耐えている。

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