有谷 絢(阿倍野教会)
バーント司教さまが初めて沖縄に来たとても暑い日に、バス停でバスを待っていました。汗を流しながらだいぶ疲れていたということでした。
そこに、一人のおばぁがやって来て隣に座りました。汗を流す外国人の青年を見て、おばぁは自分の扇子で司教さまをあおいでくれたそうです。
司教さまがおばぁを見ると止めてしまいますが、また前を向くと同じようにあおいでくれました。
司教さまは「自分は過去に沖縄を攻めたアメリカ人なのに、その私をこのおばぁは扇子であおいでくれている」と思ったそうです。
見た目でアメリカ人かの判断は出来なくても、どう見ても外国人で欧米人です。
嫌悪感のようなものを向けられても仕方ない自分に、優しくしてくれるおばぁ。
その優しさに触れて司教さまは、「沖縄の人々のために何かしたい」と強く思ったようです。
聖書のなかに“憐れに思う”という言葉があります。
これはギリシャ語で“スプランクニゾマイ”といい、直訳は“内臓が揺すぶられる”という意味です。日本語にはない表現のため“憐れに思う”と意訳されています。
このギリシャ語とよく似た意味のものが沖縄の言葉で“チムグリサ”といい、直訳が“内臓が揺さぶられるほど何かをしてあげたいというような気持ち”。
あの時のおばぁは、きっと“チムグリサ”で、司教さまは“スプランクニゾマイ”。
お互いにこの人のために何かをしたいという気持ちだったと思います。
“スプランクニゾマイ”、“チムグリサ”は皆さんのなかにもきっとあります。
一人一人がこの気持ちを持つことが平和な未来へ繋がっていくのではないでしょうか。
バーント司教の平和メッセージ(2023年)から抜粋
「我々は大砲の餌ではない! 平和の架け橋・万国の津しん梁りょうだ!」
大国の狭間からの叫び
もう、戦争はいらない。 ただ、平和に生きたい。
もう、悲しみはいらない。 ただ、すべての国との友愛関係に生きたい。
もう、抑圧はいらない。 ただ、わが子々孫々と共に末永く生きたい。
もう、差別はいらない。 ただ、大空、地、海と共に優しく生きたい。
もう、基地はいらない。 ただ、「いちゃりばちょーでー(*1)」のこころで生きたい。
もう、砲弾やミサイルはいらない。 ただ、「ぬちどぅ宝」の精神、
我々を大砲の餌として利用するな! 「ちむがなさ(*2)」のまごごろを生きたい。
*1:(一度)出会ったならば、みな兄弟 *2:相手の痛みを深く感じる愛
平和のいしずえ・沖縄からの祈り
すべての戦争犠牲者の霊魂を抱くこの地を、父よ、あなたの御手に委ねます。
戦禍をかいくぐり、いのちを繋いでくださった先祖の労苦を顧みてください。
父よ、あなたの御手に委ねます。いまを生きる者が二度と戦禍に逃げ惑うことがありませんように。
父よあなたの御手に委ねます。再び沖縄を大砲の餌とさせないため、軍事基地のいらない
和解と友愛の拠点としてください。
父よ、あなたの御手に委ねます。戦争への備えは、戦争のはじまり。戦争への備えは、必ず戦争に
つながることをすべての人に悟らせてください。
戦争への備えをすべて放棄した平和な世界を切望しつつ、父よあなたの御手に委ねます。