• カトリック大阪高松大司教区 社会活動センター・シナピス

松浦 悟郎司教のお話「大軍拡反対! 平和をつなぐ」から

仁川教会 土器屋 香代子

平和学習講演会「大軍拡反対! 平和をつなぐ」―戦争ではなく 憲法九条を世界の宝にー

《揺らぎについて》
憲法9条がありながらも軍拡へ突き進んでいる現実に、無力感に陥ったり、混沌とする世界情勢から「軍拡も仕方ないか」等の”揺らぎ”があります。
「その揺らぎを正直に分かち合いながら、答えを見つけ、戦争(暴力)によって平和は実現しないということをもう一度確信してほしい。9条がありながらも集団的自衛権を一部認める等、ゴム紐が限界まで引っ張られて切れそうな状況であっても、なんとか9条の制約を受けて繋がれている状況である」と言われました。


《現実から出発する》
「他国が攻めてきたらどうする?」、「9条のように軍事力がゼロで、国を守れるのか」と言われると、これまでは上手く説明や反論ができませんでしたが、「高度の軍事力を持つ自衛隊があるので、日本の軍事力はゼロではない」という説明に納得しました。「これ以上に軍拡を進めるのか、軍縮を進めて他国との信頼関係を培い日本の安全を守る道を選ぶのか」という現実から出発することが大切であることを学びました。


《個人の尊厳(人権)について》
「個人の尊厳は国が与えるものではなく、生まれた時から誰でも持っているもので、誰も奪うことはできない。
改憲の目的は、個人の尊厳の上に国家(公)を据えることで、個人の尊厳(人権)を条件付きにしようとするもので、これは憲法の根幹を崩すことになる」と。


《歴史の検証》
*「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」
これは、ヴァイツゼッカー独大統領のドイツの無条件降伏の日の演説(1985年5月8日)の一部で、この演説後の1989年にベルリンの壁が崩れ、翌年、分断されていた東西ドイツは統一され、ヴァイツゼッカー大統領は、この統一ドイツ初代大統領に就任。
*闇へと葬られた一人ひとりの尊厳を取り戻すために検証する。
例)長生炭鉱水没事故(1942年2月3日):戦争で石炭の増産が急務のため、海底から近すぎる距離で違法状態での採掘で起こった事故。朝鮮人136人、日本人47人が犠牲となり、事故当日、憲兵が坑口を塞ぎ、隠蔽。国は遺骨収集作業をしていない。1991年に市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が発足し、市民が行っている。
*二度と繰り返さないために。 「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」 (原爆死没者慰霊碑)


《「自分一人では…無力だ」と決して思わないこと! 歴史の証人》
*アウグスト・フリードリッヒ・ランドメサ(造船会社労働者):ナチスに抵抗し、1936年6月13日ドイツ海軍の練習艦の進水式において、ただ一人「ナチス式敬礼」を行なわなかった。(写真が残っている)
*古山 高麗こま雄お(作家):召集されても、軍人勅諭の暗唱を拒み、「人を殺さない、慰安所に行かない」という二つの決意をした。
*大川 常吉:関東大震災後、「朝鮮人が暴動を起こした」等の流言を信じず、朝鮮人約400人を命がけで保護し、守った神奈川警察署の鶴見分署長。
戦時にあっても、個人の強い思いを貫いた人の紹介があり、「一人の力の強さ」に勇気づけられ、世界の各地で繰り返される戦争の光景から、 歴史に学ぶ必要を強く思いました。


参加者は、憲法前文、9条、12条、13条、25条を確認し、宗教の枠を越えた「平和を築く仲間」として連帯し、本日の学びをそれぞれの場所で伝える決意をし、解散しました。
会場で皆さまからいただいた「能登半島地震被災地のための募金」は、講師にお預けしました。
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この講演会の主催者「甲東平和を考える会」は、1989年にガイドライン法案(日米防衛協力のための指針)が国会に出され、自衛隊の海外派兵が現実の問題になったことに不安を持った吉村 平さんが甲東地区の住民に呼びかけて、「平和と暮らしについてみんなで考え行動しよう」と約90名で結成した会だそうです。それ以来、「平和な社会を築くために」をモットーに、コロナ前は年に4回の講演会実施に取り組んで来られました。
約10年前、当時の仁川教会主任司祭が「一緒に学びたい」と働きかけをして以来、宗教の枠を越えて「平和を築く地域の仲間」として、この数年ご一緒させていただいています。

「甲東平和を考える会」代表:吉村 平たいらさん(85歳)のこと

吉村さんは、多くの車が行き交う国道171号線の西宮市丸橋町で、雨の日も風の日も、真夏にも真冬にも朝夕1時間ずつ、身体の前と後ろにメッセージボードをぶら下げてスタンディングを続けておられます。
メッセージの中心は「平和憲法を守ろう!」で、一昨年「サクラファミリア」で行われた松浦悟郎司教の講演会で、ご家族と一緒に「ピース9 軍隊はいらない西宮の会」を結成されました。
辺野古の埋め立てが始まった2018年12月、吉村さんは沖縄を訪問し、反対運動に取り組む人々と交流し、これをきっかけにスタンディングを始められましたので、西宮でのスタンディングは7年目に入りました。
当初は、「通行の邪魔になる」と嫌がらせを受けたり、警察に通報されて警察官にとがめられたりしましたが、「スタンディングが当たり前の風景になるように、毎日やろう」と決意。
今では、「おはよう」「お帰り」の挨拶が当たり前で、通勤・通学の方からも「頑張って!」と声を掛けられ、時には差し入れもしてくださるようになりました。「辺野古の海を守れ」、「沖縄から基地をなくせ」などのキャンペーンに贈られたカンパをもって、軽自動車で沖縄に出向き、一緒に座り込みをします。8月6日には広島にも行かれます。また、ウクライナ支援、東日本大震災に対しての募金は、通学途中に挨拶をしてくれる学生さんや小学生からもカンパが寄せられたこともあり、西宮市役所を通じて被災地に届けておられます。
朝夕出会う「おじいちゃん」からの声掛けは、子どもたちの心にも平和を届けているように思います。
幼い時に戦争の悲惨さを体験し、「空襲で火の海になった光景を二度と見たくない」という強い思いと、「自分の意見をもて」という父親の厳しい教育に感謝しながら、平和運動を続けておられるそうです。
吉村さんのぶれない信念によって、平和運動が地域で徐々に定着していっていることを実感します。

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