• カトリック大阪高松大司教区 社会活動センター・シナピス

在留特別許可を求めて闘ってきたペルー人のネリさんの収容と、入管で実現したミサ

ネリさんが大阪入管に収容されました。
2024年の秋頃から2024年前半にかけて、仮放免の青少年たちに在留特別許可が下りるようになりました。長年にわたり、全国の仮放免の人たちの前に立って実名で闘ってきたネリさんのこどもたちにも在留特別許可がおりました。でも母親のネリさんは請求が却下され、ペルーへ帰国するよう月ごとに厳しい圧力がかけられてゆきました。
「送還されたら最低5年は戻って来れない」、「親族訪問のための短期ビザは許可されない」・・・そんな心配があって、ネリさんは踏ん切りがつかないまま時を過ごしました。
2025年に入って、ネリさんは自分なりに帰国の計画を立てるようになり、入管(出入国在留管理庁)と話し合いを始めていた矢先の2月19日のことでした。
この日、ネリさんの娘さんと支援者は外で待たされ、ネリさん一人が部屋に呼ばれました。そこで言い渡されたのは「収容・強制送還」でした。自費で航空券を買い、帰国の意思を示したにも関わらず、です。
待合室で母を待つ娘さんの前に現れた入管担当官は、「お母さんを収容した。会いたければ面会室へ」と告げました。娘さんは感情を表に出す暇もなく、すぐに帰宅して母のために荷物を用意して入管へ戻り、関係者に連絡を取るなどして慌ただしく動きました。
厚いガラス板の向こうに座るネリさんの言葉です。「私は具体的に帰国の意思を示したのに、収容という暴挙に出た。白旗を立てた私に向かって銃弾を放ったようなものでしょう。」
ネリさんは食事が喉を通らず、大きなストレスで持病を悪化させていきました。ネリさんの身を案じて毎日多くの人が面会に訪れました。


2月25日 大阪入管でミサが実現する
ネリさんの収容を知った司教さんたちもネリさんのために祈ってくださいました。
大阪高松大司教区の酒井俊弘補佐司教は、ネリさんを見舞うことにしました。そこで私は、ミサをあげさせてもらえないか大阪入管に相談をしました。「カトリック信者にとってミサがどれほど大切か、ミサによって生きる希望を見出すことにつながる」とお願いしました。こうしてミサをあげる許可が下り、2月25日に領事官面会室を使ってミサが実現しました。
酒井司教と松浦謙神父が通された部屋には被収容者を隔てる仕切り板はなく、私たちはネリさんとハグしたり握手したりできました。酒井司教はネリさんにスペイン語で語りかけ、福音朗読と説教もスペイン語でなされました。
これは大きな出来事でした。地方入管においては宗教儀式が認められてこなかったからです。これを機に地方入管でも収容されている人に対して、信教の自由が尊重されるようにと願います。生きる希望を失う状況に置かれた人びとのために、拘禁施設こそが、僧侶や聖職者による祈りの時と場所を提供してゆけるようになってほしいと思います。
なお、ネリさんは3月6日、入管から収容を解かれて、こどもたちの待つ家に帰ることができました。

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