• カトリック大阪高松大司教区 社会活動センター・シナピス

事務局こぼれ話(2025年4月)

事務局 ビスカルド篤子

3月1日 大阪弁護士会主催「人権フェスタ」と映画『マイスモールランド』

大阪弁護士会館で開かれた人権フェスタ。今年は元ちとせさんのライブがあったり『Winny』主演の東出昌大さんのトークショーがあったりと、豪華なプログラムも盛り沢山で会場は大賑わいでした。

シナピスは西日本難民弁護団の展示ブースのお手伝いをしました。弁護団に代わってブースの店番として、丸一日シナピスの宮内陽子さんと中西澄子さんがシナピス工房グッズを販売してくださいました。

人権フェスタでは、いくつもの映画上映会が催されましたが、その一つに『マイスモールランド』がありました。この映画は、迫害を受けて故郷を逃れ日本で育ったクルド人少女が日本の理不尽な難民制度に翻弄される姿を描いたものですが、上映会の後、監督の川和田恵真さんとのトークに私もご一緒することになりました。

実はトークの依頼を受けた時、気持ちが重くなったのです。以前『マイスモールランド』を観た時、あまりに身につまされて瞼が腫れるほど大泣きしたからです。重い内容に私が語る言葉はないし、その上、泣きっ面で登壇する羽目になる恐れもあり、気持ちは浮きませんでした。

案の定、いくら泣くまいと気を張っていても、鑑賞2度目は内容がもっと深く突き刺さり、タオルが湿るほど滂沱(ぼうだ)の涙が出てしまいました。

映画終了後、会場が明るくなるとすぐに私たちは設置された椅子に座るよう促されました。こうして瞳の澄んだ川和田さんと、目の赤く腫れたビスカルドとのトークが始まりました。

主人公のサーリャの姿が、同じような状況に置かれた数々の家族に重なってしまい、マイクを回されてもまた泣けてきそうになって、言葉は詰まり、全く情けないったらありゃしませんでした。

私のハズレトークはさておき、『マイスモールランド』は心を揺り動かされる秀作です。

主人公の高校生サーリャは、周囲のペラペラ喋る日本人たちとは対照的に、どこまでも寡黙であまりセリフがありません。その分、彼女の表情が私たちに多くを語るのです。

どなたかシナピスとコラボで自主上映会を開催してみませんか。一見の価値ありです。

3月5日 大正大学の学生さんと語り合う

大正大学の星野壮先生が大阪へのフィールドワークの一環で学生2人を連れてシナピスへ立ち寄ってくださいました。

私はいつも通り学生たちにシナピスの活動を紹介しました。シナピスをよく知る星野先生がうまく質問をして下さり、それに答える形を取りました。「今は多様な国籍の人に対応するが、20年前はフィリピン人が多く、深刻な問題も多々あった」と当時の事例を挙げたときです。学生の一人のマリンさんが「私も実は母がフィリピン人なんです」と言って、自分史を振り返るように語ってくれました。そばにいた友人のヒナさんは、断片的にしか知らなかったマリンさんの背景や思いをじっと聴き、揺さぶられた気持ちを抑えながら言葉を選んで自分の内面にある思いを語りました。この展開に、私の心には瑞々しい風のようなものが流れたように感じられました。

学生さんたちがシナピスを後にする間際にマリンさんが手渡してくれた感想の一部です。

「自分のルーツについて向き合うことはすごく大変なことだけど、理解するだけでなく、わかろうとしてくれるだけでも自分たちのようなハーフの子たちは救われるなと感じた。今日で、今までの苦労が軽くなった気がして、とても有意義な時間でした。」

3月10日 東西の若者たちが出会う

ネリさんの娘のMさんが「東京から大学生たちが来るのでご一緒にいかがですか」と誘ってくれたので、喜び勇んで待ち合わせ場所のミナミの串カツ屋に向かいました。

関東の学生さんたちは、それぞれ大学も住む地域も異なりますが、みんな社会問題に関心があり、春休みにお金を貯めてバスに乗って大阪まで来て、人権資料館や釜ヶ崎を回る計画を立てているということでした。

その中に、群馬県から来たペルー人のNさんがいました。NさんもMさんと同様に昨年やっと在留特別許可を得た人で、2人は「日本で生まれ育ったのに20年も社会から排除され続けた人生がどういうものか」を話してくれたのでした。学生たちは真剣な眼差しで、疑問に思うことは率直に尋ね、時を忘れて語り合いました。私は感動をもって学生たちのやりとりに聴き入りました。

20代の若者5人におばさん1人。嬉しくて私は「串カツ食べなさい食べなさい」。カフェに入れば「ケーキ食べなさい食べなさい」。私にできるのは御馳走ぐらい。とにかく若者の役に立ちたい、と心から思ったものでした。Mさん、私を誘ってくれてありがとう。

シナピス事務局における有名人のベスト1は、井上 佐治朗さん!!

シナピス事務局で井上佐治朗さんを知らない人はいません。それも過去数十年に渡って、です。

佐治朗さんは毎月欠かさずシナピスに寄付を送ってくださる方です。時には翌月以降の分も御送りくださり、未来の数年分の活動まで御納め済みです。

佐治朗さんは「振り込みました」と必ずお電話をくださり、入金を確認した私たちはお礼状を送ります。このやりとりが数十年ですから、シナピスの事務局に勤める誰もが佐次朗さんの声と筆跡を覚えます。

先日、私は佐治朗さんに尋ねました。「ご支援を始められたきっかけは?」 佐治朗さん「昔、なんば高島屋前でカリタス大阪が街頭募金をしていたのを見て、そこから始めました。」「え、カリタス大阪といえばもう1970年代に遡るのではないでしょうか。」「はい、そうです。」

カリタス大阪、平和の手、シナピス、と50年以上に渡り毎月欠かさず送金してくださる佐治朗さん。私たちは佐治朗さんのような方がたのお陰で活動を維持しているのだと痛感しました。

佐治朗さん、明日は今日よりもっと良い仕事をいたします。いつもありがとうございます。

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