1月7日 「お父さんが死んでしまう」の声につき動かされて
夜遅く、電話が鳴りました。「父が呼吸困難で顔が土色になって、救急搬送されました。助けてください。」初めて聞く声の主はサリさん(仮名)という若い女性でした。
両親は20年以上仮放免が続いており、父は糖尿病と高血圧と鬱病を患うが保険がないので治療もままならないといいます。
話を聞くうちに、サリさんの父親が私の知るクルド人のアユーブさん(仮名)だとわかりました。
20数年前、まだ茨木市に西日本入管センターがあった時代に私もよくアユーブさんに面会していたのです。
アユーブさんは9月にも脳出血で倒れましたが、今回はインフルエンザから肺炎と肺血栓を引き起こしたそうです。
サリさんは思いつく限りの人に助けを求め、彼女の悲痛な声に突き動かされた人たちが遠い東京や大阪から「人道配慮による特別在留許可」を求めて既に動いていたのを知りました
1月8日 私にもできることは何でもしよう
私は病院へ行き、アユーブさんを見舞いました。恰幅の良かったアユーブさんの見る陰は、もはやありません。
彼の手を握って「今、たくさんの日本人があなたのために動いているよ」と言うと、灰色だったアユーブさんの瞳が潤い、涙が流れました。「私は生きたい。」
私は主治医やケースワーカーと医療方針や医療費について話しあい、診断書を持って名古屋入管へ行きました。あちこちで動いてくれる人に連なって私もできることは何でもしよう。
1月〇日~△日 活動センターの助け合い日誌
今日も多くの人が動きます。
言葉や制度のわからない人に代わって年金事務所や区役所へ。
ビザ更新手続きや難民調査の同行。強制送還の危険性のある人の出頭寄り添い。
仮放免の人の病院探しと付き添い。海外から妻を呼び寄せたいのに「所得の低さ」が理由で不許可となった夫と入管へ抗議・相談。
シェルターでの掃除を巡る国際喧嘩の仲裁。近隣住民から警察へ通報された人の対応。事務局で仕事をするスタッフのそばに立って朝夕電話の不具合を訴える人への相槌。結婚した人の喜びの分かち合い…。
1月8日に事務局を開けてから2週間の日常です。
ドクター新庄による歯科往診と、村木正靖さんによる難民たちへのマッサージデイは、年明け1月に再開しました。
お米や食料品を運んでくださる人も、シナピスのテーブルでラーメンを食べにくる空腹の人も、皆さん顔を出すと「今年もよろしく」のご挨拶から始まりました。
そして、日本各地から「祈ってるよ」、「活動を絶やさないでね」と声を届けてくださる方、「しっかりね」と寄付を送ってくださる方。これぞシナピスの元気の源です。
さあ2025年は誰と出会えるか、どんな学びがあるか、何ができるか。
「からしだね」の運動がさらに広がりますように。