『見よ、それはきわめてよかった』出版記念シンポジウム(2024年9月14日)で活動紹介をされた池永重彦さんは、玉造教会の信徒です。仕事の傍ら、掃除で社会のお役に立ちたいと、認定NPO法人「日本を美しくする会」などで活動しています。 以下、池永さんからいただいた原稿を、シナピス事務局で要約したものをお届けします。
『見よ、それはきわめてよかった』を読んで、教皇フランシスコ様が未来に対して、「ライフスタイルの転換」という大きな方向をお示しくださっていることに、大変共感し、感動しています。
ライフスタイルの転換には、きっかけが必要だと思いますが、それには、「感動」や「憤(怒り)」の感情が大切で、そこにどう働きかけるかがポイントではないかと思います。私たちが行っている「掃除」を通じて、感動が人を変える、社会を変える、それが「ライフスタイルの転換」に繋がるのではないかと気づきました。
活動では、「掃除を学ぶのではなく、掃除に学ぶ」をモットーに、特に大切にするトイレ掃除では、徹底して磨くことで、自分の心の汚れが取れていくような感覚になります。このような掃除によって、いわゆる荒れた学校の立て直しをたくさんしてきました。あたかも対立したように見える関係でも、掃除を通して、関係がつくられ、対話が始まることを経験しました。
街頭清掃では、見えないところを徹底的に掃除します。グレイチングという道路の雨水を落とす場所には、タバコやたくさんのゴミが落とされ、それは、処理されることなく、そのまま海に行きます。道路にはいつくばって、グレイチングの中をピカピカにする、その1回目が大切です。1回目には勇気とエネルギーがいります。1回目ができれば、2回目はできます。私たちは、このことを、「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」と言い、この考え方を大切にしています。
鹿児島県に甑(こしき)島という離島があります。その海岸は、流木だけでなく、漁業ゴミ、大型のプラスチック(ほとんどが産業廃棄物)でおおわれ、それらが3メートルぐらいの地層になっています。プラスチックは波や岩で洗われてマイクロプラスチックとなり、それを魚が食べ、人間が食べます。
このゴミは、島の人たちが出したゴミではなく、大量生産・大量消費・大量廃棄のあげく、遠く外国から流れ着いたゴミです。自分が出したゴミではないけれど、誰かが拾わなければいけない。これは、国境を超えて、世界の国々の共通課題であり、この問題を解決することが共通善だと思います。日本は海洋国家ですから、この様な取り組みでも世界平和に貢献できるのではないでしょうか。
ひとりの百歩より、百人の一歩です。