*『シナピスニュース』2024年12月号の巻頭言より
尼崎教会主任司祭 ジョヴァンニ・デリア神父
20年前、イタリアのある教会で、ユニークな馬小屋を見かけました。
この馬小屋は通常の洞窟や山をモチーフにしたものではなく、キッチンをテーマにしていました。食器棚や台所のテーブル、椅子やエプロンに囲まれ、そのテーブルの上に幼きイエス・キリスト、マリア様、ヨセフ様が置かれていました。
その教会の神父様はこう話されました。
「神の子は王宮でも神殿でもなく、何も持たずに、ただ人として生まれました。神の子はこの世の裏口から歴史に入ることを選び、あのキッチンのように、日常生活の場を選んだのです。イエス・キリストはこうして地上のあらゆる場所をご自身の居場所とされました。」
つまり、マタイ福音にあるように、イエス・キリストはどこでも、いつでも私たちと共におられる神です。インマヌエルとは、まさにこのことを意味しています。神様を探すなら、教会ではなく、日常生活の中でこそ探すべきなのです。
もう一つは、馬小屋に現れる不思議な人物である羊飼いについてです。
あの時代、羊飼いは社会的に低い位置にいました。現代で言えば、町の片隅でぎりぎりの生活を送る庶民のような存在です。
時には犯罪に手を染め、裕福な人々からは見下され、期待されていない人々でした。それにもかかわらず、神の子を見に行くように招かれました。なぜなら、神様はすべての人にチャンスを与えたいと願っているからです。
神様にとって、見捨てられた存在などありません。神様にとって不可能なことはありません。どんな人でも素晴らしいことができるのです。
例えば、1914年12月24日、第一次世界大戦中、ドイツとイギリスの兵士たちの間で自発的な休戦が生まれました。最前線で対峙していた兵士たちは、共にクリスマスを祝ったのです。これは奇跡だとされていますが、誰にでもチャンスが与えられれば、平和を選ぶものです。クリスマスとは、そのチャンスを信じることです。
クリスマスとは、希望そのものです。戦争は避けられない出来事ではなく、解決すべき問題としてとらえられるべきです。それこそがクリスマスの意味です。