• カトリック大阪高松大司教区 社会活動センター・シナピス

主体的なキリスト者(長崎壮神父)

*シナピスニュース2024年5月号より転載

クラレチアン宣教会司祭 長崎 壮

神学生の修練期間、修練長のスペイン人神父から祈りの指導を受けましたが、その中で日本の精神文化の特性は、ことばや音を注意深く聞き、それを意識の領域に落とし込む意識の文化であり、西洋は聞くことよりも自分の考えを外界に伝えるレトリック(修辞)の文化と教えられました。
そう言われてみると、私の時代の学校では自分の考えを表現することよりも、先生の話をよく聞き、理解することを重視した教育を受けました。
「口は禍のもと」、「出る杭は打たれる」という諺ことわざも、権威者や目上の言うことをよく聞き、それに従順に従うという長い歴史の中で培われた精神文化の中で生まれたのでしょう。
私の修練長だった神父さんは、瞑想においては聞くことを重視する日本の意識の文化を高く評価していましたが、私は現代の日本の教会は西洋のレトリックの文化から学ぶところも多いように思います。
教会は社会福音化のために宣教し活動しますが、社会や文化を福音化していくためにはカリスマ的な指導者が出てきて、信者皆がそれに適切な判断もせずに従うということではなしえないような気がします。
それよりも、自分自身の目でよく見て、考え、祈り、批判や孤立を恐れることなく意見を言い、主体的な行動ができるキリスト者がひとりでも多くなることです。
そして、主体的に考えるときの物差しとなるものこそ主イエス・キリストが宣べ伝えた福音です。
近年は学校教育の場では、アクティブラーニングを積極的に取り入れていますから、主体的に考え、行動できる若い世代の人が社会にも教会にも少しずつ増えてくるかもしれません。
復活節の今、週日のミサでは使徒たちの宣教が継続的に読まれています。

復活のイエスに出会ったペトロは、迫害を受けたとき「人間に従うよりも神に従わなくてはなりません」(使徒5:29)と勇気をもって宣言します。
使徒たちの勇敢さは、宣教の歩みが進めば進むほど拍車がかかっていくようですが、それはペトロをはじめとする使徒たちが復活の主と出会い、イエスの語られたみことばに確信を持ち、主体的に生きることを選び取った結果です。

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