濵田 幸子
6月29日(土)、サクラファミリアで行われた袴田事件に関するシンポジウムに、シナピスから派遣され、参加しました。
袴田事件とは、無実の袴田 巌さんが死刑囚とされた冤罪事件です。1966年6月30日に、静岡県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社の専務宅から出火し、全焼した現場から専務一家4人の遺体が発見されました。従業員の袴田 巌さん(当時30歳)が、身に覚えがないにもかかわらず、元プロボクサーだからという偏見から犯人と決めつけられ、逮捕・起訴され、死刑判決が確定しています。
無実の罪で逮捕されたあと、自白を強要され、長期間拘置所に収容されていた巌さん。当初は、「無実なのだから必ず解放される」と信じ、前向きな気持ちで過ごしていましたが、再審請求をしてもなかなか受理されず、次第に心がむしばまれていきます。1984年12月24日、巌さんは獄中でカトリックの洗礼を受けました。
2014年3月27日、静岡地裁が巌さんの再審開始を決定し、死刑と拘置の執行を停止しました。巌さんは47年7か月ぶりに釈放されましたが、検察が即時抗告したため、再審開始が確定するまでさらに9年間を要しました。2023年10月27日に静岡地裁で始まった再審は、15回の公判を経て2024年5月22日に結審し、9月26日に判決が言い渡されます。
シンポジストとして、袴田 巌さんの姉・袴田 秀子さん、「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」副代表の門間 幸枝さんが登壇されました。秀子さんの表情や話し方は、91歳とは思えないほど活気に満ちていました。秀子さんは前向きな思考を保ちながら、約50年間という想像を絶するような期間、獄中にいた巌さんの無実を信じ支え続けてきました。一時期、アルコールに依存したこともあったそうですが、乗り越えています。
死刑を宣告されたあと、巌さんはどのような気持ちで獄中の日々を過ごしてきたのでしょうか。
『主よ、いつまでですか』という書簡集が1992年「袴田巌さんを救う会」の編集で新教出版社から出版されているのを知り、購入させていただきました。無実であるのに解放されない苦悩、心の叫び、家族への思いなどが切々と綴られており、胸が張り裂ける思いで読ませていただきました。
秀子さんは、「本人の苦労を思うと私の苦労なんて」、また「一人では無理だった。皆の支援があったから・・・」との思いを伝えてくださいました。再審を求める巌さんのもとには多くの支援者や弁護団が集まり、門間 幸枝さんも巌さんの無実を心から信じ、再審請求を求め署名を集めるなどの活動を継続してきました。
この度のシンポジウムを通して、袴田事件の真相に触れ、冤罪を生み出し、無実の人が救済されない日本の警察、司法制度について大いに疑問を抱きました。冤罪で苦しみ悲鳴をあげている人の思いに耳を傾け、ともに寄り添うことが、どれほど当事者を勇気づけることになるのか。そのためには、まずは事件について「知ろうとする姿勢」が大切であると実感しました。
9月26日の判決で、巌さんが無罪を勝ち取り自由の身となることを祈りながら、私も支援者の一人として検察庁へ嘆願書を送ろうと思います。