• カトリック大阪高松大司教区 社会活動センター・シナピス

シナピス事務局こぼれ話(2025年8月)

イスラムとカトリックの追悼式

事務局 山田直保子

 イランのMさんが、母と妹を不慮の事故で一度に亡くしました。 突然の知らせに、号泣し絶望しているMさんを見て、 私たちは、 ただそばにいることしかできませんでした。
 シナピスでは、イスラムとカトリックの融合した追悼式を行いました。 こういった形式の追悼式は3度目ですが、 「苦しいときは同国人の同志をみんなで支え合う」といったイラン人らしい考えで、 クチコミで広がり、Mさんを知らない人も含めたくさん集まりました。 みんなで協力して一緒に式の準備を進めていきます。
 彼の希望を聞いて、祭壇に飾るお花を一緒に買いに行きました。 「真っ白なお花にしたい、その中にお母さんと妹の赤いバラが2つ欲しい」と具体的な提案があり、 用意しました。ほかのイラン人がいるため、写真や名前を公表せず、 代わりにMさんの母と妹へのメッセージを用意してもらって額に飾ります。 その人それぞれ様々な背景があり、 秘密にしないといけないこともありますが、 私たちはできるだけ、 本人の意向に沿った形で準備していきました。
 追悼式が始まり、 聖書を読みコーランを読み、 宗教に関係なく、 参列した皆さんのそれぞれが、 亡くなった友の母と妹を、 心から偲び祈りを捧げました。 普段あまり仲が良くない人も、 ひとりひとり前に出てお焼香をして、 真摯に神に向き合い、 祈り、 抱き合い、 ねぎらう姿を見て、 心から彼らを尊敬し涙が止まりませんでした。
 M さんがとてもこだわってていた「白いお花」は百合でした。ふと、聖堂のステンドグラスを見上げると、白い百合が描かれていて、神様がなせる業だと心が震えました。
 たくさんのイラン人男性たちの前に姿を見せられないけれど、 朝早くからこの式の為に、伝統的なお菓子を祈りながら作ってくれたアフガニスタン女性の想いも忘れてはいけません。
 追悼式が終わり、みんなでそのお菓子を食べながら、近況報告など話しながら笑ったり冗談も言ったりして、M さんにも笑顔も見られ、少しほっとしているときに、 一人がペルシャ語で何か言うと全員で復唱し祈りが始まります。急に皆さんが一堂に声を出し祈る姿にびっくりしたのですが、 私たちも祈りました。 その祈りが 2 回ありました。 なんて言っているのですか? と横のイラン人に聞いたところ、 「もう二度とこういう悲しい集まりが起きませんようにと言っています」と、日本語で説明してくれました。
 冷たく感じる世の中、 なんて愛に溢れているんだろう。 人間って本当に素晴らしいなと思える
お式でした。Mさんの悲しみはそう簡単に癒されないですが、これからも一緒に寄り添って行こうと思います。

7月19日 僕はやってない!

           事務局 ビスカルド篤子

 ある刑事事件に巻き込まれた人に関わっています。 覚せい剤所持と警察車両にペンキをひっかけ
た等、複数の容疑で逮捕されたのですが、 被疑者のHさんは 「僕はやっていない。 商売敵にハメられた」と全面否定、かれこれ 2 年近く勾留されています。 接見禁止命令が出ているため家族とも一
切会えず、 彼は独りで無実を主張して闘っています。
 勾留1年を過ぎた頃、 H さんは衝動的に鉄扉に頭を打ちつけるなどの拘禁反応が出たこともあり、私の接見が認められるようになりました。 こうして私は本人に直接会い、 家族との伝言役になり、
彼の望む差し入れも可能になりました。 できる限り公判の傍聴も行います。
 裁判ではHさんは捜査の不自然さを指摘し「自分をハメた人」寄りの不公平な裁判だと、 一貫して無実を主張するのでした。 この日の公判では、 やり取りに我慢できずに H さんは度々口を挟んだり、 通訳人に自分の主張を裁判官に伝えるよう迫ったりしました。 裁判官は「被告人は不規則発言をやめなさい」と制し、 検察側は呆れ顔で含み笑いをし、それを見たHさんは日本語で「何が可笑しい!」と大声を出すのでした。 公判が終わりに近づくと、 進行に納得しないHさんが立ち上がって抗議、 弁護士が窘めても聞かず、 とうとう裁判官が「裁判を閉廷します」と宣告しました。 抗議をやめないHさんを刑務官たちが力ずくで抑え込み、 強引に手錠をはめると、 Hさんは「やめろ!私は人間だ、尊敬してください」と怒鳴り 「私のコーランに触るな」と叫びました。 その気迫に刑務官は手を緩め、 コーランを彼の両手に静かに乗せました。 Hさんは戸口で振り返って立ち止まり、 家族と私に涙にぬれた顔で深々と一礼しました。
 客観的には不利に見える裁判でも、 本人に「私の側にいてほしい」と言われたら、 私は喜んでその人と家族のそばにいたいと思いました。


7月21日夜 逞(たくま)しさと哀しさと

 大阪城公園で野宿をしていた難民申請者から「おなかすいて動けない」とメッセージが届きました。
 私はその人をピックアップして夕食をともにしました。 あいにくシェルターは満室ですし、 日ごろお世話になる釜ヶ崎の人たちも連休中の夜では連絡が取れません。
ネットカフェでも数千円するしどうしようかと腕組みしていると、 ご当人は「いいよ、 また野宿す
る。 公園で落として」と言い、 私が「せめて寝袋と蚊取り線香を調達しよう」と言っても断り、 大きな荷物を背負って車をおりました。 運転席をのぞき込んで「ありがとね」と彼。 気持ちが咎めた私は 「あのね、 明日もご飯一緒に行くか。」 「うんわかった。」 

 シナピス、 緊急時に備えてテントがいると思いました。
 彼を見送って帰宅すると、今度は神戸の病院から「肝硬変の人が泥酔、 緊急入院させます」との一報が入りました。 身寄りのないその人はシナピスの電話番号だけを告げたそうです。 自分が肝硬変と知りながら潰れるまで酒を呷ってしまう独りぼっちの人。
 明日は神戸へ見舞いに行こう。 善人ぶっての行動ではなく、 何もかも後で悔やみたくない私のエ
ゴからです。

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