阪神地区社会活動委員会
11 月26 日(日)、カトリック夙川教会において、シナピスのビスカルド篤子さんとともに、標記のテーマでシナピス移動学習会〈阪神地区社会活動委員会主催〉を実施しました。
最近「還暦」を迎えられたというビスカルドさんが「若い時には分からなかった様々なことが、歳をとって理解できるようになってきた。歳を取るのも悪くない」と初めに言われたことで、高齢であることをマイナスに考えなくても良いのだと心が解放された気持ちになりました。
コロナ渦を経て、様々な企画をしても、「集まりが悪い」「出るのが億劫」等、否定的な声に半ばあきらめにも似た気持ちになり悲観的になりがちですが、高齢化に突き進む日本社会で教会共同体がこれからどのように生きていくべきなのかを真剣に考える機会をいただいたと感じました。
「なぜ教会には子どもや若者が少ないのか」、また「なぜあなたは教会を去らなかったのか」という講師の問いかけに、参加者30余名全員が、子育ての時に感じたこと、また、当時と現在の社会状況や教会組織の違いや、ご自分の信仰体験を分かち合ってくださいました。
「教会より魅力的な場所がある」「日曜学校を支えるリーーがいない」「教会に行っても同世代の友達が少ないと面白くない」「3年間のコロナ渦で教会に来ないことに慣れてしまった」「若い人の生活スタイルと教会の教えが違う」「忙しい親が教会に来ないと小さい子どもは来れない」、「中高生は部活や受験勉強などで忙し過ぎる」など、社会生活との関連で遠のく例や、「昔は同世代の子ども達が教会で長時間過ごしていたが今は教会が居場所になっていない」「同じ目標に向かって歩む仲間がいない」と切実に感じ、今の若い世代を気の毒に思う声も聞かれました。
また一方で「若者のリーダーをしていた時、教会に提案しても高齢者から受け入れてもらえず、伝統を変えてもらえないので壁ができている」「人間が集まる所には噂がある」「いま、魅力のある信者がいるかどうか」「どなたでも待ち受ける気持ちが必要」など、教会内部の反省も促されました。
地域の文化センターとは違って、各教会にある「手話」・「点字」・「習字」・「手芸」・「音楽」などの活動には必ず祈りが伴います。行動的な祈りを通して元気に福音を生きる高齢者の姿は、次世代にも伝わるのではないかと講師は示唆されました。また、ウクライナやパレスチナなど、世界で苦しむ人びとに思いを馳せる「祈りの会」や、街頭でのスタンディング行動など、ぜひ『シナピスニュース』を活用して情報を発信し、教会ネットワークを広げていただきたいと話されました。
お爺ちゃん・お婆ちゃんがニコニコしていつもいてくれる教会、こどもにとって家と学校ではない第三の居場所としての教会、そうすると皆にとって教会が「重荷をおろして憩える場」になれるのではないか、と言われました。
キリスト教に関係のない現役の入管職員や警察官等の国家公務員の方が、「定年後の余生は人のために尽くしたい」と言われることもあるそうです。
教会が「人に尽くすための場」となって定年後の人びとへ提供できるように、「ようこそ」と、まずドアを開ける役割を果たしたいと思いました。
世界各地の悲惨な戦争に心をいため、為すすべもなく無力感にさいなまれますが、目の前の身近な人を大切にすることから始めたいと思いました。
最後に、講師の「私たちは“なぜ教会に行かないといけないのか”という若者の問いに、真剣に向き合ってきたでしょうか?」という問いかけに、今後は「なぜ私は教会を去らなかったのか」を真剣に考えて、自分のことばで若い世代に伝えられるようにしたいと思いました。